ニーマイヤー逝く


ブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤーが逝去された。享年104であった。これで、モダニズムの巨匠の時代は本当に終わってしまた。今回のポストはすんごく久しぶりにケンチクのことを書いてみたい。

1920年代にル・コルビュジェミース・ファン・デル・ローエワルター・グロピウスらが中心になった建築のモダニズム。それは、「鉄とコンクリートとガラスの建材の時代にこれからの建築様式はどーすんの。自動車や航空機は機能から導き出される必然的なフォルムを持つのに、建築だけデコレーションケーキみたいにいつまでも、ごてごてと装飾して、これからもやっていく訳?時代が変わったんだから、ふさわしいデザインがあるんじゃね。今までもいろんな技術者や建築家が1800年代の末からいろいろやってきたけど、なんか表面的な気がするねん。もうちょっと腑に落ちるような形でうちに提示してほしいねん。」というところをやってきたと思ってる。

ヨーロッパの中心、ドイツ・フランスあたりで始まった建築のモダニズム運動は、時代を経て世界各地へ広がり、その土地ならではの展開をみせる。フィンランドでは、アアルトが柔らかく優しい空間をえがき、アメリカでは、ルイス・カーンが現代の神殿をぶったて、日本では丹下健三が代々木の体育館で世界の度肝を抜いた。そして、ブラジルではニーマイヤーがジャングルの奥地に首都の建築群を浮かび上がらせる。

ニーマイヤーの代表作はやっぱり、ブラジリアの建築群とされている。アマゾンの奥地に突然現れる鉄骨の高層構築物。国会議事堂。この写真を見るだけで、当時の遷都がものすごい政治的決断だったことが分かる。当時の大統領は反対するやつは私の屍を超えていけといったとか。

今ある街に建てる訳じゃないので、気を使う事も無く、まっさらな自由なカンバスに筆を進めていく。そして、ちょっと非日常な風景ができあがる。曲線を多用したシンプルな造形。女性のバストのイメージだそうだ。国会議事堂でバストかあ。ラテン系以外の国では考えられん。(ニーマイヤーは98才で再婚したそうで、ほんまおねーちゃんがすきやったんやなあ。)

国会議事堂できた。

大統領府とかブラジリア大聖堂などの主要建築もニーマイヤー。だが、しかしである。ブラジリアとはこうゆう街なんである。何がいいたいかというと、シンプルで整った街ではあるんだけど、どこか地球文明圏の人たちが植民惑星につくった街みたいだ。駅前の喧噪、目的も無いのに立ち寄るヨドバシカメラ、ガード下の赤提灯、そんなものはない。生活のにおいがしないんです。

ブラジリアは、現代人が計画段階から全てコントロールして作った街だけど、都市の活気がないと言われるようになった。次ぎのムーブメントの人たち、ポスト・モダニズムの人たちからやり玉になる。Less is more.とかいっているが、実際はLess is bore.なんじゃないの、とか。ブラジリアは格好のやり玉になってしまい。ニーマイヤーは気の毒だった。(実際僕も昔は、ブラジリアでやっちゃった人ぐらいにしか思ってなかった。深く反省しています。)

しかし、ニーマイヤーは偉大である。写真はニテロイの美術館。ほどよい規模。ニーマイヤーらしい曲線。宇宙船が着陸しているよう。リオの海岸線を背景にした写真を見ていると、合成写真なんじゃないかとか。なにかの冗談なんじゃないかという気がもしてくる。

やはり、98才でおねーちゃんが好きなのは、偉大なんである。R.I.P.

建築のことを書いていたら、結構肩がこってしまった。小休止で音楽とします。それに、地球の裏側の都市のことを考えているより、総選挙でどの党に入れるか考えなければ行けないかもしれません。