ヘレン・メリルを聴きながら

自宅のベランダから外を見ていると、小鳥が何匹も飛んでいる。

比較的短い距離の同じルートを、何度も、何度も飛んでいる。
すこし、飛び方がたどたどしく、慣れてない感じがする。
 
鳥の巣立ちの時期で、飛ぶ練習をしているのだなあと思いました。
 
それにしても、激落しそうにみえても激落しないのはさすが鳥であります。
この鳥たちはどんな人生(鳥生というべきだ)を過ごすのでありましょうか。

 

helen merrill

helen merrill

 

 さてさて、今日は掃除をしながら、女性ジャズボーカルの大定番、ヘレン・メリルさんの代表的なアルバム「ヘレン・メリルウィズ・クリフォード・ブラウン」を聴いておりました。マイクにシャウトするジャケットが印象的。うちで使っているアンプは真空管トランジスタのハイブリッドなんで、この時代の録音が熱をおびた感じにいい塩梅で鳴ります。

 

このアルバムといえば、あの曲!が有名なんですけど、お気に入りは”Falling in Love with Love”という曲。ウキウキ感全開で万人ウケする曲じゃないでしょうか。


Helen Merrill with Quincy Jones Septet - Falling in Love with Love

 

ヒラリー・ハーンのリサイタル

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久しぶりに兵庫県立芸術文化センターに出動した。ヒラリー・ハーンさんのリサイタル。今回の日本ツアーはモーツァルト、バッハ、コープランド、現代曲と多彩だった。私はといえば、耳馴染みのある曲が好みで、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタK.379、これは出だしの曲調がとても好きであり、今日の演奏を聴いていても、何回かハッとさせられた。ハッとさせられるって、わて私的にどうゆうことかというと、瞬間的に頭の中に違う景色がぱあっと広がるような感じ。この感じが好きだから、音楽聴いているんです。(クスリをやってる訳じゃありません。)

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でも、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番BWV.1005を聴いて、ハーンのバッハはいいなあと改めて思った。聴いているこっちの方が燃焼する。そんな、感じだった。すごく、演奏が難しい曲だなということが分かるけど、ハーンは難なく乗り越えていく。完璧にヴィヨーム(彼女のヴァイオリン)をドライブし、フーガを構築していく。テクニックがあるだけじゃなく、魂が込められている。ラルゴは本当にいい曲だと思う。魂の深淵。演奏を聴いて崖から突き落とされそうになる。9割がた埋まったホールの聴衆と一緒に崖から突き落とされそうになる。この感じはなんと言葉で表現すればいいのか分からない。
 
「音楽を言葉で表現するのは、建築をダンスで表現するようなもんだ」とかいう方もいたようですし、言葉で表現は難しいかと。そんなことを、夜中に彼女の18歳の時のデビューアルバムを聴きながら、しっぽりと考えておりました。
 
 
今後のコンサートの予定は今のところ白紙であります。暑くなってきたし、ガット弦のバヨリンとか、・・・フルートとか、・・古楽の小編成のやつ、・・・そんなんにしようかなと。

空がなかなか

早めに仕事を終わり、帰る途中、空がなかなか綺麗でありました。

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いつも通っている道、何百回、何千回と通っている道でも、空が綺麗だとぜんぜん違う景色に見える。

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今日は湿気もなく、空気も爽やか。大阪には今後、夏場の灼熱がやってくるので、今のうちにこの空気感を楽しみます。

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Met〜ロベルト・デヴェリュー

怒髪天を衝く エリザベス女王

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朝から梅田の街に出動し、Metライブビューイングに行ってきました。ドニセッティのロベルト・デヴェリュー。大盛況でした。チューダー朝3部作と言われる前2作を見ていたので、コンプリートしたく見てきました。ストーリーはソープオペラ。恋人(ロベルト・デヴェリュー)に裏切られたエリザベス1世が激怒。ロベルト・デヴェリューが公爵夫人と不倫していたのが分かって、女王と公爵が激怒。修羅場。修羅場。激怒。激怒。激怒。
 
憤懣やるかたなし
 
エリザベス女王を歌ったラドヴァノフスキーさん。ただただ凄かった。これは酷なんじゃないかと思うぐらい、ハイテンションなシーンが続く。猜疑心、嫉妬、ブチ切れ、やけのやんぱち、見てるほうがはらはらする。カーテンコールでは完全燃焼で、憑き物がおちた様だった。
 
ネットで調べたけど、実際はエリザベス女王は結構我慢強かったようだ。ロベルト・デヴェリューはかっこよくて国民にも人気があったよう。でも、その人気で勘違し、謀反に走ったようだ。
 
見てる間考えていたのだけど、貴族っていうのは王さんに対して反乱を起こす例が多いけど、なんでそんなことするのだろう。歴史を紐解くと、貴族が王に反乱を企てても、なかなか成功はしない。大抵は事前に発覚して鎮圧される。もうちょっとリスクヘッジをちゃんとしないと。それでも権力を指向するものが反乱をやめられないのは、さがなのか。

祝 ル・コルビュジェ

今回はいつもと趣旨を変えて、建築のお話を。ル・コルビュジェの作品が世界遺産に登録されて、東京上野の西洋美術館も世界遺産になるということで、何か書いてみようと思う。記憶の劣化により、ちょっと違っている記述もあるかもしれないです。

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欧州で近代建築運動をやっていた人たちの中で、ワルター・グロピウスバウハウスミース・ファン・デル・ローエのトゥーゲントハット邸に続き、ル・コルビュジェの建築群が世界遺産に登録ということで、ようやく真打登場という感じがする。でも、世界遺産なんて「はく」がなくたって、ケンチクやっている人は心の底からコルビュジェを尊敬している人が多い。
 
近代建築運動の中心人物であり、前半、近代建築らしい機能的なデザインで革命家的にぶいぶい言わせたと思ったら、後半、詩的で豊穣な空間を作ったりと、なんとまあ、一面では捉えきれない、引き出しの多い人ではある。コルビュジェはこうゆうものかと分かったつもりでも、月日を経ると新しい発見があったりと飽きることのない建築家である。そうゆう意味ではクラではクラシック界のごはん(まったく飽きない)とも言われるベートーベンのようなものじゃないかと思う。コルブ(愛称)は人に影響を与える力も甚大で、日本の近代建築の著名な建築家もコルブの弟子が多いし、世界中に弟子は巣立っていったし、今の世代もコルブにぞっこんな人が多い。
 
コルブは名言が多い人でもある。一度聞いたら忘れられないような言葉を発する。今回は名言(迷言?)という切り口でまとめてみよう。
 
住宅は住むための機械である
 
機械?我が家のくつろぐためのリビングが機械なのか?なんという無味乾燥な表現と今では思うかもしれない。でも、1920年にさかのぼると、自動車や航空機が世の中に広まりつつあり、皆機械に世の中の変革を見ていた時代。建築だけが特権階級のための装飾にまみれちゃいかん、機能に基づいたものにしようという、革命家コルブらしい宣言だったんじゃないでしょうか。

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機械らしいといえば、パリ郊外にたつサヴォア邸。これが1931年に建っているんだから、当時の一般的な建物と比べたらぜんぜん違うので、浮きまくっていたであろう。
 
建築は光の戯れである
 
コルブは自然光の使い方がうまい。教会や修道院なんかでは、実に劇的な自然光の取り入れ方をする。有名なのは、ロンシャンの教会。かつての異教徒の聖地の丘にキリスト教会が建てられた。分厚いコンクリートの壁面にてんでバラバラの開口部を開け、これまたてんでばらばらの色彩のステンドグラスから光が溢れてくる。プロポーションと光の輝きが絶妙で、まるで音楽が聞こえてきそうな空間だ。

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300万人の都市計画
 
コルブは都市計画にもご執心。パリの中心部をぶっ潰して、ローラーで真っ平らにして、高層ビルを林立させる計画を考えた。今ユネスコが聞いたら激怒するような計画。若きコルブが考えていたのは、人々が健康であるためには、都市といえども風通しが良く、日当たりが良く、緑も多くないといけない。というわけでコルビュジェらしく、過激なマニフェストである。

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おまけ ル・コルビュジェ meets クラヲタ
・上野の西洋美術館の横に立っている東京文化会館。クラヲタの聖地として有名であるが、設計者の前川国男コルビュジェの弟子である。
・代表作のフランス南部に建つラ・ツゥーレット修道院には、作曲家のクセナキスコルビジェの事務所で働いているときに設計した窓がある。フィボナッチ数列でデザインしたとか・・・難しい話である。

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バッハ〜カンタータ第194番

お疲れ様です

太陽の塔ですが、1970年の万博から月日が経ちずいぶんくたびれたなあという感じです。
コンクリートの人工物だってこんだけくたびれるんだから、人間だってくたびれてきますわね。

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夜中にヘッドホンを装着して、静かに音楽鑑賞。
久しぶりにバッハのカンタータを聴いております。
カンタータを聴いているとこころが落ち着きますね。
私にとっては、心も体も疲れてくる夜更けはバッハ・タイムです。
滲みるというか、
 
鈴木御大、バッハ・コレギウム・ジャパンのCDを聴いております。
これも、ぱりぱりの現代の録音だなあ。
これ聴いているとまた、神戸の六甲山の中腹にある松蔭女学院に行って、イタリアの山岳都市を思わせるキャンパスに建つ小さいチャペルで、コンサートを聴きたいなあと思います。
 
カンタータ第194番「こよなく待ちこがれし喜びの祝い」
第5曲目のアリアがバッハらしいなんとも愛らしいアリアで聴き入ってしまいました。
カンタータも聴いてない曲がまだまだあるなあ。
まあ、気長にやっていこう。。。
 

パラブーツ〜シャンボード

いつもとは趣向の違うネタをUP。パラブーツのシャンボードはカジュアルで愛用している革靴であります。カラーはカフェ。この前、ベランダで影干しをしていたら、太陽光線を浴びていい風合いだったので、思わずぱしゃってしまった。

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履き下ろしてから数年、なんとも素朴なデザインの靴であるが、気に入って履き倒している。主に秋・冬は主にこれで、春・夏は同じくパラブーツのデッキシューズ・バース(バックスクリーン3連発のバースではない)が俺の定番スタイルとなってしまった。手に入れた時はふんぱつしたなあと思っていたが、何シーズンか履いて足になじみ、革も経年変化で色落ちしたり凄みが増してくると、もう他には変えられないオレの靴になった。これからも修理を重ねて使っていくんだろうなあと思う。

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このパラブーツちゅうのはフランスで作られているんだけど、製品というのは、その国のお国柄が出てくるのが面白いなあと思う。自動車だったら、日本製・アメリカ製・フランス製・イタリア製と出来てくるものが違うんだなあ。精神性が表れるというか。おーをた(オーディオオタク)の方ならピンとくると思うけど、スピーカーでもアメリカのJBL、イギリスのB&W、イタリアのソナスファベール、ドイツはえーわからん。とか並べると国によってでてくる音が違うよな気がする。
 
このパラブーツ。フランスという言葉から連想する華麗さがぜんぜんない。こうゆう感じの靴は女子から見るとおじ靴というらしい。平凡で、朴訥。色もありきたりの茶。でも、デニムに合わせても、チノパンに合わせても、しっかりとはまり。街角散策からコンサート出撃まで、幅広く活躍してくれている。
 
公園でベンチでくつろいでいた時に、カッコをつけて撮ってみたの図。

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スズメが寄ってきたの図

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今日は昨日聴いていたばらの騎士3重唱を、オルフィオ盤でまた聞いておりました。カントリーのアリソン・クラウスのアルバムから何曲か。キース・ジャレットの即興ライヴ・ケルンコンサートから2C(この曲めっちゃ好き)。ワーグナーローエングリン・ハイライト盤。
音楽をたくさんチャージしたので明日は働くぞ。と。