機械式マニュアルカメラで散歩
この前、カメラバックから久しぶりに取り出したFM2を持ち出し散歩してみた。
私は以前このカメラを持っていろんなところに行ったものだ。
(とはいっても、関西内だが。。。)
金属の塊のようなカメラなので、冷んやりした感触が心地よい。
テーブルにカメラを置くと、ゴットっつて音がする。
フィルムはフジのC200というカラーネガフィルム。
レンズはMicro Nikkor 55mm f2.8。
撮ったネガをお店に持って行って、「現像お願いします」ってなことを久しぶりに言ってみた。
やっぱり、独特な写り。メインで使っているデジカメと比べると、優しい感じがする。
公園に来ていたピザ屋さん。美味しそうであるなあ。
ある日の夕方、綺麗に空が焼けた。夕焼けマニア。マーラーが聴きたい気分だな。
それにしても、マクロレンズらしい撮り方をしていない。
ある線路際に生えていたはっぱ。
逆光はやはり厳しい訳です。
機会式のマニュアルカメラは久しぶりに使うと楽しい。
フランク・ロイド・ライト〜旧山邑邸
阪急神戸線の芦屋川駅から、山手を見るとフランク・ロイド・ライト設計の旧山邑邸が(現ヨドコウ迎賓館)見える。神戸線に乗るたびに何度も車窓から見ていて、行きたいなと思っていた。まあいつでも行けるかと思っていたら、なかなか行かなかった。今回は友人の計らいで行くことができた。感謝。
フランク・ロイド・ライト、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエ、ワルター・グロピウスの4人は近代建築の4巨匠と言われる。ライトの他の3人はフランス・ドイツというヨーロッパの心臓部で活躍した。他3名は豆腐を切ったようなコンクリートの建築、鉄とガラスの建築、バウハウスの校舎をデザインしたりして、やってる主義主張が分かりやすかった。以前の私としては、他3名の革命家然とした感じが好きで、マニフェストをぶち上げるような感じが好きだった。パリの街をローラーで平らにして、高層ビルを林立させるような。(コルビュジェ300万人の都市計画)
しかし、私も時代を経て、加齢によって好みが変わってきた。最近はライトが気になって来ていたのである。
ライトというと伊達男で、クライアントの奥さんとできてしまい、駆け落ちした話があったと思う。(まあ、グロピウスもマーラーの奥さんとアレだったが)彼の家族を襲った悲劇もあり、常にタブロイド紙に取り上げられる男だったようだ。そうゆう話に気が取られて、彼の連続する空間や特異な造形に興味が行っていなかった。いま思えば残念な話である。
阪急芦屋川から、豪邸を横に見つつ、急な坂を上がると、旧山邑亭に辿りつく。
応接室。3面から適度に自然光が入ってきて、心地いい。近代建築の巨匠といえども、壁一面ガラスとかにしないのが、ライトらしい奥ゆかしさか。だてに200件住宅設計していない。インテリアにも栃木県の大谷石が多用されていて、重厚な雰囲気になっている。
空間はぬるぬると連続していく。シカゴ近郊に彼が設計したプレーリーハウスは水平連続だが、ここは垂直連続だな。
窓廻りでみせる意匠はライトの得意技だ。
西向きの窓なので、晴れの日は、夕日で綺麗な影を落とすであろう。
いちばん上の階に食堂があった。それほど広い部屋ではない。
ライトらしい装飾で、しかし節度をもって空間がまとめられている。
食堂はこじんまりとしていたが、バルコニーにつながっていて、外にテーブル出してお食事もしたかもしれない。
芦屋の豪邸というと、阪神間の街と大阪湾を見下ろすですな。
歩きまわっていると視覚的に面白い仕掛けがある。
マヤ遺跡を模したような装飾が、そこここにある。
以前は近代建築に装飾なんてと思っていたけど、最近はまあ、それもありかなと思えるようになってきた。(雰囲気がよければ)
当時の生活水準から考えると、もうとんでもない豪邸なれど、えらそばったところがない。ヒューマン・スケールが行き届いていて、こじんまりとしていて、居心地がいい。
私が思うに住宅の名建築って、思っているより、こじんまりとしていて、居心地がいいと思う。そこにいて時間の経つことを忘れ、訪れた時間は夕刻だったが、朝や昼はどうだろうとか思いをはせることができ、また訪れたくなる。外の風景が押し付けがましくなく、優しく自分の中に入ってくる。旧山邑邸は間違いなく名作だった。
しかしながら、旧山邑邸はこの11月から2年間の改修にはいるとのこと。また、再公開の際は訪れたい。
小ネタ話
・このお屋敷のなかに小間使いの部屋があった。4畳半くらいのこじんまりした部屋だけど、窓からの眺めは自然が溢れているし、清潔感があった。この屋敷に住むなら、この小間使いの部屋でいい。ここに布団を持ち込みたい。
・日比谷の帝国ホテルがライト建築のまま今もあったら、どんなにすごかっただろうか。ライトの最高傑作のひとつが日本にあることになるのだ。村野藤吾の日生劇場とライトの帝国ホテルが並び立つ姿を自分の目で見たかったものだ。
・ライトが日本に来ていた頃は、彼の家族と従業員を襲った悲劇の後だけに、精神的なダメージが相当あったであろうが、帝国ホテルなどの傑作を残した。やる奴はやるのである。
梅田夕景
ある日の夕方、 カメラ片手に梅田を散歩した。
グランフロントで、逆光を受ける。
西梅田のビル群。
夕日を浴びるビル群をみていると、マーラーのアダージェットが聴きたくなる。
観光客のみなさんは、相変わらず多い。
秋ですなあ。
夕焼けは飽きない訳で。
日の沈むところは、スカイビルに隠れて見えず。
使ったカメラはSony NEX7、レンズはCarl Zeiss Sonnar T*E24mm F1.8であります。
過去記事。。。
ビーバー〜ロザリオのソナタ
シンプルな空間だけど、濃密。
一見ほんとにちっちゃい、コンクリートの箱だけど。
教会正面から差し込む光の十字架が劇的で、
ああマタイ受難曲(?)という感じがする。
この教会斜めにコンクリートの壁が挿入されているのだけど、
スリットからこぼれてくる光を捉えてみました。
安藤忠雄が描いたこの教会の平面図もとても有名。
絵葉書になってるぐらい。
この平面図MoMA永久保存でもいいんじゃないだろうか。
名作とされる建築の内部空間に身を置くと、なんとも不思議な気持ちになる。
それは、音楽を聴いて陶酔している感覚に似ている。
誰が言ったのか良くわからんですが、建築は「凍れる音楽」とも言いますね。
フローズン・ムジク
れりご
さて、教会つながりというわけではないけれど、今日はロザリオのソナタについて書いてみる。キリストの生涯を描いたバイオリン曲。
この夏はピアノのみとか、バヨリンのみとか、器楽曲ばかり聴いていたような気がする。蒸し暑い日々の中では音数が多いのがどうも苦手なのです。
その中でもよく聴いていたのはビーバー作曲のロザリオのソナタ。
バロック・バイオリンの名手ボッジャーさんの演奏を良く聴いていた。
バロック時代の曲は、聴いていてもどの曲も同じように聴こえるのだが、何回も聴いているとだんだん違いが分かってくる。
こうなるとしめたもの。
その曲を体得した気分になる。
お盆のくそ暑い時期に、ロザリオのソナタを聴きながら、バスで西へ向かった。中国自動車での車窓に流れる緑鮮やかな山々。効きすぎたバスの冷房。そんな状況とロザリオのソナタは妙にマッチした。
お気には最終曲のパッサカリア。暗闇を切り裂くかのような無伴奏バイオリン曲。
すきだなあ。
ボッジャーさんではないが、動画を貼っておこう。
モノクロームな動画が美しいです。
BIBER PASSACAGLIA - Elicia Silverstein, violinist
暑い時期は、素麺ばかりだった。
これからは涼しくなってきているし、味噌ラーメン(ブラームス)とか、醤油とんこつラーメン(マーラー)とか、がっつりいきたい。
Nikon new FM2
カメラバックをごそごそしていたら出てきた、
これはだいぶん以前に手に入れたものだけど、そういえばあまり使いこんでいないなあ。
当時は花でも撮ろうかとかなんとか、考えていたと思う。(柄でもなく)
ニコンのマニュアル式一眼レフnew FM2につけていた。
これぞカメラというデザイン。
デジタルカメラに慣れてきった身からいうと、使うのがとてもめんどくさい。
シャッタースピードも、絞りも自分で決める。
シャッターは機械式。
電池が切れても大丈夫。
電気式の露出計はある。
たぶん、10年ぶりぐらいに、ファインダーを覗いたら、電池は生きていて露出計が使えた。(#マジカヨ)こんなことは現代のカメラではあり得ないだろう。
フィルムの巻き上げも自分でレバーを回す。
36枚撮り切ったら、自分でハンドル回して、フィルムを巻き戻す。(今、36枚ってナニ?って方も。)
めんどくさいっちゃ、めんどくさい。でも、何も考えず、動作を体で覚え込んでしまえば、ある意味シンプルとも言える。
忘れていた。
フィルムを巻き戻したら、現像に出さなきゃいけない。
フィルムを手に入れるのだって、いまや近くの店では手に入らないかもしれない。
やっぱり、めんどくさいかも。
new FM2にマイクロニッコールをつけたら、なんとも精悍な姿。
レンズは絞りやら、距離情報が刻印されていて、なんともメカメカしい。
おまけにカニの爪まで、ついているし。
カメラも必要最小限のダイヤル・レバーしかついていない潔さ。
メカメカしさがたまらんちん。
(乃木坂46で機械式カメラが好きな方がいるそうだが、
それは、趣味として、美意識として非常に正しいと思うのであります。)
カメラの動作確認&内部風通しのため、シャッターを切ったのだけど、操作感はピンと背中を伸ばして撮っている感じで心地よい。
カメラバックの奥から、フィルム(コニカのセンチュリア400懐!)がでてくる。
めんどくさいが、
あまり、出番のなかったマイクロニッコール使ってみようか。。。
大阪クラシック4日目(9/14)
今年はクラシック音楽のイベントである「大阪クラシック」に行くことができた。去年はいく時間がなかったけど、今年はなんとか平日に休みを取ることができた。
本町で鴨なんそばなんかを頂き、竹中工務店本社へ向かう。1階のいちょうホールへ。このいちょうホールは仕事関係のセミナーで時々訪れるところだけど、ここでクラシック音楽を聴けるのは感慨深い。いちょうホールに入ったらクラヲタ(失礼、Dearクラシック音楽愛好家の皆さな)があふれそうなくらいいっぱい。大阪クラシックの人気を思い知った。Rシュトラウスのティルの室内楽版?などを楽しんだ。
次の会場に向かう。大阪クラシックは街中のいろいろな会場でコンサートを開催するので、ひとつのコンサートが終わったら次の場所に移動する。
途中で見た中之島の風景であるが、フェスティバル・タワー2期が無事できたのだなあ。水面に映るフェスティバル・タワーに気をとられ、ぱしゃってしまった。
なにわ橋駅で、モーツァルトのフルート4重奏曲を鑑賞。勝手知ったるメロディーは落ち着く。
次は、三井住友銀行大阪本店だ。かつては、住友銀行の本店。住友財閥の本丸の場所だ。私はこの場所で、バッハの無伴奏を聴きたかった。大阪クラシックは普段入れないような名建築で音楽を楽しめるというのが気に入っている。
今回はバッハ無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番。イザイ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番である。
住友コンチェルン。
この威厳。
思えば、この本店を設計した住友の営繕部隊が独立して、今や日本のマンモスガリバーな組織設計事務所になっていることに感慨を覚える。世界でも確実に十指に入るし、大阪のビジネス街なんてその設計事務所が設計したビルだらけだものなあ。まあそれはいいとして。
コンサートの前に、プロデューサー大植さん登場。銀行のえらいさんも出てきて、大植さんと漫才を繰り広げる。住友のえらいさんは、漫才もできるのか。まあそれもいいとして。
ライブは、鋭く無伴奏の音楽を描いていた。なるほど、バッハとか、イザイとか峻厳なる音楽にはこの重厚な空間は似合うなあ。演奏を堪能した。
それにしても、プロデューサーの大植さん、演奏者の皆様、会場整理などボランティアの皆様、会場を使用させていただいた事業者の皆様、たいへんお疲れさまでした。ありがとうございました。
最終公演のマーラーは、行けなかった。来年はリベンジ。。。
小沢健二〜ライフ
この間、出雲に行って来た時にそばを頂いた。
大社の参道にあるお店。
小分けにされて、おろし、天かす、山芋が載せられている。
十割そばだが、非常につるつると食べやすい。
非常に美味しく頂いた。
その日はお盆も近くとんでもなく暑い日で、突然、蕎麦屋の近くに救急車がやって来た。誰か熱中症で、倒れたのだろうか。
そんな暑い日だったから、冷たいお蕎麦が余計身にしみました。
さてさて、たべろぐはこのぐらいにして、今日は掃除をしながら、小沢健二さんのライフを聴いておりました。
- アーティスト: 小沢健二,スチャダラパー,服部隆之
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1994/08/31
- メディア: CD
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発売は1994年だったのか。
えらい、年月が流れたもんだ。
その頃、渋谷系とか聴いていた人も、
今はまあおっさんな訳です。
トワイライト・オブ・オッさん。
愛し愛されて生きるのさという歌に
十年前の僕らは胸を痛めていとしのエリーを聴いてた
という詞があるが、
20年前の僕らはライフを聴いていたのだなあ。
もちろん、30年前はいとしの・・・。
そうゆう意味では、このアルバムはりっぱにJPOPの古典だ。
このアルバム、時々聴きたくなって取り出す。
1曲も捨て曲なしのよくできたアルバムで、
旅に出る前とかに聴いていると、一人で異様に盛り上がる。
(そうゆう姿は人に見られたくない。)
このアルバムの世界は幸福感に満ちている。
恋愛したての無敵感みたいなのが、ぎゅっと詰まっている。
でも、あるときネットで見ただけの話で記憶も曖昧であるが、
このライフのような人生を夢見ていたけど、そうはならなかったとか。
人生とは含蓄に満ちた、深いものだなあ。