阪神淡路大震災からちょうど20年目の今日、西宮で佐渡裕指揮のマーラー交響曲第2番復活が演奏されました。私は行きたかったのですが、チケットは取れなかったです。お家で佐渡やん師匠のバーンスタインのを聴いておりました。
しっかし、これは何回聴いてもすごい曲やのう。魂はいってます。うまく言えないけど、なんかスゴイんですよね。阪神淡路大震災から20年目というのは個人的に感慨深いのでありまして、今日メディアでもいろいろと取り上げられているのを見ていて、そのときの光景をいろいろ思い出しております。
当時、私は神戸市灘区にいました。揺れている最中はふとんの中でじっと耐えるのみ。地震の発生からすぐ停電。日が昇ってから分かったのですが、遠くのタンスの上に設置していたブラウン管のテレビが枕元まで飛んで来ており、あれが頭を直撃していたらと思うとぞっとしました。発生から5分もするとあちらこちらから火の手があがり、しばらく後で街を歩いても消防車とも救急車とも出くわさない。初動では消防車・救急車は全体には行き渡らない。大地震とはそうゆうものなのだと体で分かったのです。街には家を抜け出し多くの人が往来しておりました。
がれきの中の建材で餅を焼こうか思案しているおっちゃん。元気にやっているだろうか。
巨大なCDボックスを大事そうに抱えて歩いているおにいちゃん。元気にやっているだろうか。
沿岸部のガスコンビナート爆発の危機が迫る中、危険な国道2号線で予防線をはる自衛隊員たち。元気にやっているだろうか。
JR六甲道駅の高架が今にも落ちそうだ。でも皆平然と高架の下を通っている。私も平然と通った。でも、今だったら怖くて通れない。
店を閉めないローソンの店員さんたち。元気にやっているだろうか。水を買いたかったが、水は無いので、牛乳をありがたく買物をする。
ひとまず実家に帰りたいが電車もバスも止まっているので歩いて駅を目指す。西宮北口駅を目指す人々。元気にやっているだろうか。
がれきにたむけられた花が胸をさす。
大阪の実家から神戸に通う日々。
道中パンをくれた学生ボランティアさん。元気にやっているだろうか。
安否確認で訪れた避難所で豚汁を頂き、とても暖かかった。
電気水道は割と早く復旧したが、ガスは遅かった。銭湯が再開した時の狂喜乱舞といったら・・・テルマエの比ではない。
とまあ、断片的な記憶になっている部分もありますが、決して忘れません。明日も生きていこう。