常々思っていることだけど、はげたかクラオタ主義。ちょっと前、はげたか資本主義というような用語が世間をにぎわしていて血も涙も無い目先の利益しか考えない様な人たちみたいな、自分が今迄音盤を手に入れていた経緯を考えるとそう思い当たります。音盤はその昔、とても高価な物で、クラオタの先人達は音盤を手に入れるために高い対価を払ってきました。想像するに同じ曲の指揮者聴き比べなんて、とても贅沢な事だったでありましょう。例えば、LPの時代で、ブラームスの交響曲をカラヤンとバーンスタインで聴き比べなんて、ましてや、膨大なボックスセットになるニーベルングの指輪なんて、ベームとクナの聴き比べとか一体どれだけの資金が必要だったでしょうか。
比較的最近クラを聴き始めた私は、そうゆう時代を知る事も無く、タワーレコードの売り場に行くと、ボックスセットがたくさん売られているデフレ状態の中で、ぽつぽつと音盤を選んでいました。そりゃ、最初はメジャーレーベルから売られている盤がいいのではと思いましたが、安価で売られている古い録音もあじがあってよろしいなあということになり、古い録音でいいやということになって、ボックスセットがたまってきます。ま、高い音盤は手を出さずに格安ボックスセットに手を伸ばしている自分を、はげたかクラオタ主義だなあと思っているのです。そうなると、クラは好きだけどクラオタ迄はいかないかなあと思っている私にとっては、手持ちのボックスセットを巡回する様に聴くだけで事足りるようになってきました。いうなれば、完結してしまった生態系。6畳間の小宇宙・・・
今日聴いていたのは、そんな前振りとはぜんぜん関係なくて、ブラームスのワルツ。肌寒くなってきた秋の空気にどんぴしゃで、ええわあとなりました。
動画を貼っておこう。