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フランク・ロイド・ライト〜旧山邑邸

けんちくや デザイン

阪急神戸線芦屋川駅から、山手を見るとフランク・ロイド・ライト設計の旧山邑邸が(現ヨドコウ迎賓館)見える。神戸線に乗るたびに何度も車窓から見ていて、行きたいなと思っていた。まあいつでも行けるかと思っていたら、なかなか行かなかった。今回は友人の計らいで行くことができた。感謝。

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 フランク・ロイド・ライトル・コルビュジェミース・ファン・デル・ローエワルター・グロピウスの4人は近代建築の4巨匠と言われる。ライトの他の3人はフランス・ドイツというヨーロッパの心臓部で活躍した。他3名は豆腐を切ったようなコンクリートの建築、鉄とガラスの建築、バウハウスの校舎をデザインしたりして、やってる主義主張が分かりやすかった。以前の私としては、他3名の革命家然とした感じが好きで、マニフェストをぶち上げるような感じが好きだった。パリの街をローラーで平らにして、高層ビルを林立させるような。(コルビュジェ300万人の都市計画)

しかし、私も時代を経て、加齢によって好みが変わってきた。最近はライトが気になって来ていたのである。

ライトというと伊達男で、クライアントの奥さんとできてしまい、駆け落ちした話があったと思う。(まあ、グロピウスもマーラーの奥さんとアレだったが)彼の家族を襲った悲劇もあり、常にタブロイド紙に取り上げられる男だったようだ。そうゆう話に気が取られて、彼の連続する空間や特異な造形に興味が行っていなかった。いま思えば残念な話である。

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阪急芦屋川から、豪邸を横に見つつ、急な坂を上がると、旧山邑亭に辿りつく。

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 応接室。3面から適度に自然光が入ってきて、心地いい。近代建築の巨匠といえども、壁一面ガラスとかにしないのが、ライトらしい奥ゆかしさか。だてに200件住宅設計していない。インテリアにも栃木県の大谷石が多用されていて、重厚な雰囲気になっている。

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 空間はぬるぬると連続していく。シカゴ近郊に彼が設計したプレーリーハウスは水平連続だが、ここは垂直連続だな。

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 窓廻りでみせる意匠はライトの得意技だ。

 西向きの窓なので、晴れの日は、夕日で綺麗な影を落とすであろう。

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いちばん上の階に食堂があった。それほど広い部屋ではない。

ライトらしい装飾で、しかし節度をもって空間がまとめられている。

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 食堂はこじんまりとしていたが、バルコニーにつながっていて、外にテーブル出してお食事もしたかもしれない。

芦屋の豪邸というと、阪神間の街と大阪湾を見下ろすですな。

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歩きまわっていると視覚的に面白い仕掛けがある。

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 マヤ遺跡を模したような装飾が、そこここにある。

以前は近代建築に装飾なんてと思っていたけど、最近はまあ、それもありかなと思えるようになってきた。(雰囲気がよければ)

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 当時の生活水準から考えると、もうとんでもない豪邸なれど、えらそばったところがない。ヒューマン・スケールが行き届いていて、こじんまりとしていて、居心地がいい。

私が思うに住宅の名建築って、思っているより、こじんまりとしていて、居心地がいいと思う。そこにいて時間の経つことを忘れ、訪れた時間は夕刻だったが、朝や昼はどうだろうとか思いをはせることができ、また訪れたくなる。外の風景が押し付けがましくなく、優しく自分の中に入ってくる。旧山邑邸は間違いなく名作だった。

 

しかしながら、旧山邑邸はこの11月から2年間の改修にはいるとのこと。また、再公開の際は訪れたい。

 

小ネタ話

・このお屋敷のなかに小間使いの部屋があった。4畳半くらいのこじんまりした部屋だけど、窓からの眺めは自然が溢れているし、清潔感があった。この屋敷に住むなら、この小間使いの部屋でいい。ここに布団を持ち込みたい。

・日比谷の帝国ホテルがライト建築のまま今もあったら、どんなにすごかっただろうか。ライトの最高傑作のひとつが日本にあることになるのだ。村野藤吾日生劇場とライトの帝国ホテルが並び立つ姿を自分の目で見たかったものだ。

・ライトが日本に来ていた頃は、彼の家族と従業員を襲った悲劇の後だけに、精神的なダメージが相当あったであろうが、帝国ホテルなどの傑作を残した。やる奴はやるのである。