疲れたら温泉
有馬温泉に行ってきた。
阪急梅田駅にあるバスターミナルから有馬温泉行きにお乗り、1時間バスに揺られて、爆睡して目が覚めたら、そこは山深い温泉地だった。
有馬温泉のある神戸市近辺には、火山がない。
でも、古代から有名な温泉地が続いているのは、なぜだろう。
ずっと疑問だったが、以前、ブラタモリを見たときに疑問が解けた。
有馬の湯は遥か地中深く、プレートがマントルに沈み込むところから来ているのだ。
有馬の湯は元は海水。600万年の時をかけて、60km真下の地球の深部から湧き上がってくる。(ブラタモリ情報)
有馬の湯の特徴は鉄分が多い。塩分濃度高い。炭酸。
鉄分が多い湯は、地上に出てくると酸化して、茶褐色になる。
金泉と呼ばれる。
私は、以前金泉は泥水なんじゃないか。ありがたがるものだろうかと思っていたが、泥水ではなかった。どろどろ感はない。失礼しました。金泉に入ってみると、とても皮膚に良さそうだ。古代から、この湯に入るために、皇族・権力者・民衆が押し寄せたんだな。
坂のある街は面白い。暮らすのは大変だろうけど。
湯泉神社。ぽつぽつとカップルがやってきては、参道を上がっていく、いい風景でありました。
味のあるお店も多いなと、こちらの土産物屋さんは、江戸時代から続いているお店だった。
どことなく、レトロなものがはまるのも、温泉街のいいところ。
有馬温泉名物、有馬サイダーだ。その昔、炭酸水を飲む習慣がなかったことは、毒水と言われていたそうだ。その炭酸水の価値を見つけたのは、結局、神戸にやってきた西洋人で、炭酸水を飲む習慣が広がっていったという。これは、炭酸強めで、甘さ控えめ、さっぱりといただける。
帰りはロープウエーに乗って六甲山の南側に出てから、帰ることにした。ロープウエーの対向車とすれ違う時、思いっきり、手を振ってしまったよ。なんで、こうゆう時、手を振ってしまうのだろう。ぼーっと。。。。
六甲山に登ると、神戸と大阪を俯瞰できる。人類が成し遂げた建築で最高高さのブルジュ・ハリファより高い地点からの俯瞰だ。写真では不明瞭な感じだが、実際にみると迫力がある。冬の空気が澄んだ日なら、泉州の南の端まで綺麗に見えるだろう。
風の教会が公開されていたので、見せて頂く。安藤忠雄の初期の名作、光の教会、水の教会、風の教会は教会3部作と言われる。大阪・茨城の光の教会と、神戸・六甲の風の教会はみたので、あとは北海道・ニセコの水の教会。。。コンプリートしたいですねえ。
なんかおしゃまな工事現場があるなあ。特にユンボの置き方がなあ。と思っていたら、これはアート作品でした。
山頂から下るのは、ケーブルカーで、これに10分も乗れば、神戸市灘区の市街地に着く、六甲山頂や有馬温泉とはまったく関係ない、日常の世界で、ああ帰ってきたなと思うのであった。
おわり
マーラー〜交響曲第8番
びわ湖ホールの開館20周年記念コンサートは、9月30日に開催予定だったが、台風24号接近のため、中止となった。
私はチケットを取っていたが、台風の日はJRは動かないだろうし、中止になるだろうと思っていた。
ところが、急遽29日にコンサートをやるということで、馳せ参じた。
マーラーの8番はまだライブで聴いたことがない。関西ではなかなか聴けない演目であるし、なんとか行こうと思った。
いつもは、穏やかなびわ湖の表情も天候が悪いため、荒々しい。大津京の方角の山々も霧で煙っている。
ホールに入り、合唱オケが揃うともうステージぱんぱんだ。さすが、副題で千人の交響曲というだけある。合唱オケ合わせてこれだけの人数でよく前日にライブしていただきました。感謝。
お客さんの入りは、4割から5割というところ。もちろん、予定通り30日にやっていたら、超満員だっただろう。お客さんも予定日を繰り上げ、よくこれだけ集まったと思う。
指揮者の沼尻さんが振り出すと。もう、そこは音の大伽藍だ。やっぱり、この曲のド派手さは祝祭にふさわしい。第1楽章パイプオルガンから始まって、合唱のサウンドプレッシャーが押し寄せると、身体の中からいろいろな分泌物が出てくる。デトックスか。終始、怒涛の第1楽章もいいけど、最近は第2楽章いいなと思う。最初、静かに始まり、だんだんと声楽が織り交ぜられて熱を帯びていく。フィナーレは第1楽章も上回る熱量だった。Bravo!
最近の台風は、ほんとしゃれになっていない。
前に来た21号の時は、恐怖を感じた。
マンションのバルコニー隔ていたは外れたし、窓から外を見た時はまるで漫画の様に色々なものが飛んでいた。
今度はどうだろうか。
皆様、おきをつけください。
コニカHEXARであれこれ撮る2
フィルムカメラで時々写真を撮り、現像が上がってくると、びっくりすることが多い。
そういえばこんなことがあったと思い出し。徐々に記憶が鮮明になってくる。
印画紙に映像が定着していくスピード感で記憶が姿を表す。
季節は冬から始まっていた。
大阪本町にある神社にいった。
歴史のある神社だった。
どうでもいい話だが、背景に見えているのは、昔の伊藤忠本社ビルだ。
大阪のギョウカイ(建設)の人なら分かる。竹中工務店本店と清水建設大阪支店がある交差点。この交差点のスタバは気持ちがいい。
ここは、休日にはスーパーカーがやってくる。この車のメーカーとか分からないが、とりあえず撮っといた。
桜の時期。夜桜を撮ってみる。たぶん、レンズのF値を開放にして、手持ちでブレないように撮ったであろう。しかし、いくらHEXARのレンズが明るいからって、フィルムカメラで夜景を手持ちで撮るのは厳しい。
フィルムで桜を撮るなら昼。これが健全な感じだ。
豊崎をうろうろしてみる。狭く込み入った道は、防災的には問題あるのかもしれないが、好きである。
同じく下町ぽい豊崎に突然姿を表すコンクリート打ちっ放しの建物。安藤忠雄建築研究所。おそらく、安藤フリークの施主さんたち。関西政財界の著名人とか、ベネトンやアルマーニの人とか、U2ボノなんて方々も来たんでしょうね。
安藤忠雄さんは長生きしてほしい。
安藤忠雄さんが尊敬するコルビュジェだって、ミース・ファン・デル・ローエだって長生きで、常に現役だったからね。
季節は夏。
ニュースで連日、熱中症対策が連呼されていた頃。
長居にサッカーを見に行った。
写真はサッカーを見たキンチョウ・スタジアムではなく、ヤンマースタジアムを写したものだ。ヤンマースタジアムは、大阪市の財政も潤沢な頃、今では信じられないがオリンピック誘致を目指していた時の頃に建てられたものだ。全面コンクリート打ちっ放しでかっこよろしい。中央のオブジェはダナキャラバン作。
この時は神戸にイニエスタが来て話題になっていた。
私が行った日も出場予定だったが、直前に帰国された。
ま、別にいい。
昔はセレッソ大阪が好きで、よく長居に行っていたので、今のセレッソが見れればと。
試合は1-1でドロー。得点は全得点オウンゴールという、ある意味珍しいゲームだった。
これからもHEXARで、思いついた時に撮っていこう。
バッハ〜ミサ曲ロ短調
久しぶりにザ・シンフォニーホールでライブを聴いた。
トン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団のバッハ・ミサ曲ロ短調だ。
古楽界の御大が、手兵を率いて大阪に来るということで、これはいかねばと馳せ参じた。それにしても、一般的に、なんで「手兵」という表現をよく使うのだろう、戦じゃないんだから、自ら設立した楽団でいいかと思う。
シンフォニーの森を抜けて、ホールに向かう。
シンフォニーの森は台風21号で倒壊した木はなさそうだ。メインの道は人が通れるようになっているけれど、両脇のベンチのあるところはちぎれた木やなんやかんやが散乱していて、人は立ち入れない。
ミサ曲ロ短調は、バッハの最高傑作のひとつとされる。同じく最高傑作とされるマタイ受難曲と比べると、ストーリー性がわかりやすいマタイと比べると、とっつきにくく、私もたまにしか聴いていなかった。
ライブがはねた後の結論からいうと、良かった。行って良かった。ちょ〜良かったということになる。
古楽器の弦楽器の響きは、シンフォニーホールの音響も相まって絶妙だった。
ソプラノ・ヴォイスもこのシンフォニーホールの音響とのシナジー効果でわし掴みにされるレベルだった。
演奏が始まり、最初のキリエのところでは、あれれと思ったところがあったが、キリエが終わる頃には、フルスロットル・フルパワーの演奏になっていた。
演奏は透明感があり、パワフルだ。今聴いている演奏がこれまでマタイや管弦組曲をよく聞いていたコープマン&アムステルダム・バロックの生演奏と考えると感慨深い。
バッハの宗教曲はアリアや2重唱が愛らしく、ミサ曲ロ短調もそれはそれは愛らしいのだが、私がこの日こころにツキササッタのは、合唱曲だ。ラテン語表記でアレだが、第1曲Kyrieから始まり、Gratias、最後の方のSanctusなど。合唱が迫力満点で神々しかった。残響時間2秒のザ・シンフォニーホールでこれだけ、神々しいのだから、石造の教会でやったら、どこまで神の世界になってしまうのか。
ライブがはねて、台風の傷跡が残る雨のシンフォニーの森を抜けて帰った。これだけ満ち足りた気持ちで帰るコンサートも久しぶりだなと思った。
動画はトン・コープマンと手兵じゃなくてかれが設立した楽団のもの。のミサ曲ロ短調じゃなくて、カンタータ140番。まあ、とっつきやすいので。
J. S. Bach - Kantate "Wachet auf, ruft uns die Stimme", BWV 140 (Ton Koopman)
最近は、惰性でクラ音楽を聴いていた雰囲気もあったが、忘れていた頃にこんなライヴを体験する。だからクラ音楽聴きはやめられないなと思った次第。
シューベルト〜交響曲第5番
今週はシューベルトの交響曲第5番を聴いていることが多かった。
- アーティスト: コロンビア交響楽団,シューベルト,ワルター(ブルーノ)
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ワルター指揮、コロンビア響の演奏で。
何と言っても第1楽章冒頭の爽やかさが好きで、
今時の暑さとは無縁の春の爽やかな風に当たったような音楽だ。
そんなことを考えていたら、足元を涼風が吹きぬけた。
なんて、この曲とマッチした絶妙な状況だと思い、気分が高揚した。
横をみると青い目のような光が点灯している。
。。。
よく考えてみると、近頃のエアコンはセンサーアイなるものが付いている。
私の位置を捉えらて、風を送りつけていただけであった。
動画を貼っておこう。。。
Schubert: Symphony No. 5, Walter & ColumbiaSO (1960) シューベルト 交響曲第5番 ワルター
音響設計
コンサートホール 株式会社 永田音響設計 -NAGATA ACOUSTICS-
コンサートホールの実績を見ていたのだけど、錚々たるラインナップに改めて驚いた。
帝国。音響の帝国だ。
ヘルツォーク&ド・ムーロンが設計したハンブルグのエルプフィルハーモニー、フランク・ゲーリーが設計したベルリンのピエール・ブーレーズ・ザール。同じ設計者のロスのディズニーコンサートホール。ジャン・ヌーベル設計のパリ・フィルハーモニー。我らが伊東豊雄さんの台中メトロポリタン・オペラハウスも。
そういえば、ジャン・ヌーベルがやったパリのアラブ研究センターを見た時、かっちょよさに悶絶したなあ。現代最強の建築家のひとりでもあるヘルツォーク&ド・ムーロン設計のプラダ南青山も面白かった。フランク・ゲーリーはその昔は神戸で魚のオブジェを作っている人ぐらいにしか思っていなかったけど、いつの間にかまともな建築を作るようになって(まともじゃないという意見もあるでしょうが)大家になりました。もし、ザハ・ハディドが生きていたら、この人らとわいわいと派手にやりあっていたでしょうね。
話が逸れてしまった。
国内でいうと、クラヲタ聖地のサントリーホール。ヲタにとってはもはや説明不要のホールですね。
そういえば、クリスマスイブイブ にBCJのコンサートでヘンデル作曲のメサイヤを聞いたことがある。最初に行った時は販売されている飲み物がサントリーだったので印象に残った。後で考えたら、サントリーがやってるホールだから、サントリーが出てくるのは当然だな。
大阪っこにとっては、フェスティバルホール。
新生フェスティバルホールができてから5年。
すっかり、板についてきました。
当時、なんでフェニーチェ?と思ったが。
今、考えると水の都つながり?あっ、そうか。
それから、行動範囲内にあって、時々行くのは西宮の兵庫県立芸術文化センター。
梅田から阪急特急で10分で行けるので、便利。
阪神淡路大震災復興のために作られたセンターですね。
ここのホールは響きを抑えているような印象あり。
監督は佐渡やん。
印象に残っているのは、やはり我らが佐渡やんが振ったオペラですかねえ。
一番好きなのは、バーンスタイン作曲のキャンディードだったけど、過去記事見当たらないので、ヨハン・シュトラウスのこうもり。。。
小ホールにも行った。
アン・サリーさんのライブ。これも良かった。
とまあ、永田音響設計さんにはいろんなところでお世話になっているなあと思った1日でありました。
今日、聴いた曲。シューベルトピアノソナタ第21番(ケンプ)。
ヨドバシ梅田のハーベス・スピーカー視聴会で、中島みゆきカバー、チャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲(チョン・キョンファ)など。
モーツァルト〜ピアノ協奏曲第23番
盆休みの間に映画を見た。
スターリンの死後、ベリアが失脚し、フルシチョフが権力を握る過程は興味があったので、まるで私のために作ってくれた映画なんじゃないかと思い、足を運んだ。
あと、独ソ戦(ロシア側から見れば大祖国戦争)の英雄 、ジューコフ・ゲオルギー元帥が重要な役割を果たすのも興味深く見入った。
ベルリンを陥落させた英雄も、ベリア追い落としに失敗すれば、命はないわけで、この時代のソビエトは、のるかそるか感がハンパない。
高みを目指すものが、戦いあうのは構わんとして、粛清がひどかった1937〜38年頃は、職業軍人、一般人も関係なしで密告に怯えながら暮らした。秘密警察に捕まると、拷問の末にスパイであることを自白させられ、強制収用所送りまたは処刑だ。
インクレディブルでインポッシブルな社会。
ショスタコービッチとかよく生き残ったなと思う。
映画の冒頭はコンサートのシーン、美貌のピアニストがモーツアルトの協奏曲を弾くシーンがある。
ショスタコの同級生のピアニスト、マリア・ユーディナが弾くピアノ協奏曲第23番。
スターリンがファンだったピアニスト。
このコンチェルトは録音されスターリンに届けられたという。
(指揮者がびびって、なかなか決まらなかったようだが)
だが、しかし、マリア・ユーディナは気骨の人で、スターリンを嫌っていた。
動画サイトにマリア・ユーディナの23番があるので聴いてみる。
第1楽章はどしどしと一音一音が力づよい。
第2楽章はぐっと心の中に入り込んでくる。
なかなかいいなあと思った。
Mozart. Piano Concerto № 23 in A Major, performed by Maria Yudina (1943)